今からでも遅くない。「学」を学ぼう!
最近参加している東洋思想の勉強会で
人として学ぶべきことは、「学」と「処世術」の二つに分けられる、と教わりました。
処世術というのはエクセルやワードの技術、簿記、コーチングスキル等、
働くために必要な具体的な知識やスキルを指しております。
一方、学とは魂を磨くための学びであり、生きる意味を学んだり、考察したり、
これからどのような志を持って生きていけばよいか等を学ぶものです。
学を学ぶには四書五経に代表される中国の古典を学ぶのがよい気がして、
最近は、これらに関する書籍や解説本等を読むようになりました。
そんな中、中国の古典に詳しい伊輿田覚さんの本を読み、
次のようなことを学びました。
何事にも本末というものがあります。
木で言えば、根っこが本。枝や葉っぱや花や実が末。
眼に見えない根っこを養っていくことで、枝振り等がよくなっていくわけだから、
まずは本をしっかり鍛えていくことが大切です。
人間が学ぶものには「学」と「芸」があります。
学は人間学を指します。具体的には中国の古典である四書五経等を勉強し、
自分の身を修め、世の中によい影響を与えていく人材になっていくための心構えを学びます。
一方で芸とは「六芸」を指します。
Wikipediaによると六芸とは次のものです。
★ 礼 - 礼節
★ 楽 - 音楽
★ 射 - 弓術
★ 御 - 馬車を操る技術
★ 書 - 文学
★ 数 - 数学
本末で言えば、人間学を学ぶ「学」が本。六芸が「末」
本末どちらも大切ですが、土台は人間学だと言っています。
この記事を作成するにあたり、インターネットでいろいろと検索してみたところ、
吉田兼好が書いた徒然草122段にも次のようなことが書いてありました。
人の才能というものは、古典・文書を読み解くことができ、
聖人の教えを知ることができるというのを第一にする。(中略)
次に弓矢と乗馬で、中国古代の士官が習得すべき六芸にも挙げられている。
必ずこれを身に付けておきたい。
吉田兼好が言う「聖人の教えを知ることができる古典・文書」とは四書五経です。
結局、上に挙げたどの人にも共通しているのは、
人としての心構え、心(魂?)を磨く生き方についてしっかりと学んだ上で、
日々の生活に役立つ(日々の生活に彩りを加える)知識や技術を学びなさい、
ということだと解釈しています。
六芸の内容を現代に当てはめれば、国語や算数等、学校で学んだことです。
私は職業柄、労働法についても勉強していますが、
これも言ってみれば、現代の六芸(東洋思想の先生の言葉で言えば処世術)に入ります。
「末」の部分は結構やってきたつもりですが、
それに比べて「本」の勉強度合いと来たら・・・。
昔の寺子屋や藩校では四書五経について学んでいました。
小さい頃から人間学について触れてきたんですよね。
明治維新で活躍していた人達も、
きっと四書五経、ある程度は(相当!?)勉強していたと思います。
今、学校では「末」ばかりで「本」の勉強がほとんどなされておりません。
家で学ぶべきものという話もあるかもしれませんが、
親も「本」を勉強していないので、伝えようがありません。
学を学んでいたかつての日本人から見たら、現代人はどのように見えるのでしょうね。
古典なんて、中学や高校時代にやらされ感いっぱいで勉強していたくらいですが、
数千年の歳月を経てもいまだ色あせず、現代に息づいている古典には、
きっと現代にも通用する学びがあるのだと思います。
そうでなければ数千年の歳月を生き残れません。
四書五経でないと、あるいは中国の古典でないと
人間学は学べないということではありませんが、
どうも私には相性がよいようです。
これらの古典に親しみ、心構えをブラッシュアップし、
心が磨かれるような実践を深めていきたいです。
そして、学んだことを活かして、当社のサービスをよりよいものにしたり、
学んだことをご縁ある方々とシェアして、ともに学んでいきたいです。
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