経営者仏教の三句の法門(2)
前回は三句の法門(菩提心を因と為し、大悲を根本と為し、方便を究竟と為す)の第一句を経営者仏教の観点から読んでみました。三句の法門は密教経典である大日経にありますが、大乗仏教の真髄をも表しています。菩提心は仏教共通のキーワードですが、大悲、方便は大乗仏教を感じさせる言葉です。
原文 経営的な意味 経営者の資質
菩提心 健全な向上心 健全な自己イメージ
大悲 思いやり、社会貢献の心 素直さ
方便 具体的手段・方法論 要領の良さ
第二句の「大悲を根本と為し」では、「ご縁ある方々(例えば家族、従業員、顧客、地域、国家)への思いやりの心が経営の土台」と教えます。自分本位の経営では、会社は5年と持ちません。株式公開が楽な時期は、自分本位のゲーム感覚で株式公開を目指す経営者も見られました。最近の株式公開のハードルではとても通用しない話ですし、一般論として考えても、どこかで周囲からの押し上げる力を頂かないと、会社が支え切れなくなります。新興市場銘柄で不祥事が続くのを見ても、経営者が大悲を忘れた事が一因かもしれません。単純な向上心だけでは会社は走れないのです。
また人間一人では、成功を享受できません。成功を心から祝福してくれる人に恵まれなければ、成功の価値も半減してしまいます。成功とは「人から認められる」ことで成り立つ面があります。たとえ貧しくても志に共感の輪が広がるなら、その人生の満足感は高いはずです。多少のお金があっても、周囲が営業マンだらけの人生では、物理的な快適は追求できても、心は満たされません。安直なコミュニケーションを求め、新興宗教や自己啓発セミナーに入り込む若者を見るにつけても、経営者は物質的に報いるだけでは不十分であることが分かります。十分に受け入れられた経験を持つ人間だけが、自分の創造性を発揮し、時には周囲の反対も押し切って、自分の進むべき道を進めるのでしょう。
一方で「思いやり」「社会貢献」に囚われても経営は柔軟性を失います。お金も時間も有限ですから、世の中全てに貢献し、感謝される事はあり得ません。「良いこと」に安直に時間やお金を投じてはいけません。大悲からスタートしても、人や組織を堕落させる事がいくらでもあります。そこで方便の出番となるのです。
さて最後の第三句は「方便を究竟と為す」です。「最も大切なのは、具体的な方法論である」というのです。私はこの句が大好きです。これが経営の根幹とすら思うのです。
「経営は心の持ち方次第」と言われますが半分は間違いです。思考を現実化するには「具体的な方法論」が必要です。多くの心の美しい経営者が、特に創業直後の経営者は、方法論を甘く見て失敗します。経営とは「人々の美しい心を現実化するために方法論を取捨選択し組織化する業務」です。組む相手、出すお金、取り組む手法には厳しい選択眼が必要なのです。動機は如何に善であっても方法論が誤っていれば、残念ながら成功はありえない、というのが、大変厳しいですが仏の教えでもあるのです。