吉原の歴史 Ⅰ
現在でも「遊里」であり続ける吉原の街。
その始まりは、天正18年(1590年)8月1日、徳川家康が江戸入城したときからだと言われています。
徳川家康の江戸入城した当初、遊里は江戸城下に点在していました。
しかし、慶長8年(1603年)の徳川幕府成立によって江戸の町の発展すると、分散していた遊里をまとめて「傾城町」を造営したいとする要請が、業者の側から起こってきます。
幕府としても、治安・防犯上の理由から遊里をまとめて管理したいとのもくろみもあり、元和3年(1617年)幕府はその要請を認可します。
傾城町が営業を始めたのはその翌年のことです。場所は現在の東京都中央区日本橋人形町にある大門通りを中心とする一帯でした。