メディア社会の功罪
最近ひしひしと感じていることがあります。
というのもこれだけ常に多くの新聞社や報道各社の記事を目にしていますと、否が応でも感じるのは同じネタに対するその論調の違いでしょうか。一方から見ればそれは偏向報道といえるかもしれません。
裁判・国会討論など相手のあるものはどのような議論であれ、立場の違う方々が意見を出し合うため当然そこには相違が生じます。また著名人のインタビューにおいても実はその答弁に対してポジティブな見方・ネガティブな見方というものが両面から相当程度出てきます。
すべての人間は社会というコミュニティー下において少なからず他の人々と交わる機会を持ちこれを形成しています。それは直接的なものばかりでなく情報を発信すればするほど間接的なコミュニティーの規模は拡大していきます。
テレビや新聞等のマスコミこそ実はその最たるものかもしれません。情報を発信する側の人間も何らかの形でいろいろな立場の人々と関わっており、とくにそのトップに立つ方においては、決定権というパワーがなまじあるがために中立という立ち位置が取りづらくある立場の人の代弁者になってしまうことが明白ですから。
私も含め多くの人はこうしたマスコミが毎日発信している内容こそが真実の情報であると勘違いしてしまう傾向が強いのではないのでしょうか。例えば第2次世界大戦に突入する前、反対する人々が数多くいたにも関わらず、一部強硬派のために戦争に突入した時、戦争反対を訴えることや徴兵に応じないことは悪であり非国民と罵られたのもマスコミの大きな喧伝が一助になっていなかったでしょうか。(この意見すらある方にとっては非難されるものかもしれません)嘘の情報でも情報の強さと量の陰に真実がかき消されてしまいます。
誰かが意見をいえば、当然反対も起こるしまた逆の見方もあるのだという至極当たり前のことが実は平気で無視されてしまうことは大変憂慮すべきことです。
ただ、世界最大の検索サイト法人とあるどこかの大国が争っているような情報検閲・情報統制は幸い日本では行われていないのですから(そう信じています)、マスメディアが報じていない小さな意見や小さな事実を見逃さず自身で汲み取っていくことも大事なことかもしれません。情報は自分が直接当事者の立場で経験したり感じたりしたことではないためもともと本来の意味での真実とはいえないかもしれませんが。(すべてが捏造された情報の中で生きていないとも断言できませんから)
今も昔も"百聞は一見にしかず"です。人からの情報のみを信用することなく沢山の情報を探して真実の目を育てていきましょう。このことこそ実は情報社会に生きている我々の最低限のマナーであるかもしれません。