いじめ克服論~いじめは何を君に問うているか~
皆さん、お元気ですか?小玉@社労士です。さて、今日はいじめの克服について私の小論文を書きます。
いじめってつらいよね。我慢しているといつかはトンネルが抜けて光が差す日が来るよ、みたいな
歌詞がどこからか流れてきそうですが、そこまで待てない、もうつらすぎる、という人のために書きます。
私流儀のいじめ克服体験ですが、どうぞ聴いてください。
私は小2の時、いじめを受けました。みんなの無視、ある特定の集団からの暴力、小玉菌などと呼ばれることです。最初、私は担任の女の先生の所に逃げていってばかりだったのですが、どうも逃げるのが嫌になりました。そこで問題が生じました。逃げずにいじめを回避するにはどうすればよいのでしょうか。
私は周りの人に助けを求めました。しかし、なしの礫。当然といえば当然。自分にも火の粉が降りかかるかもしれないのに誰も助けちゃくれないよね。母親にも相談しました。しかし具体的な対策は得られぬまま。その時、母がポツリ。「とりあえず努力する?」
私には力がありませんでした。周りの人に認められる力が。いじめが必要か、などと言い出せば
いじめ自殺が多い昨今、非難轟轟でしょう。だが、今振り返れば必要だったのかもしれません。
いじめが私に何を問うているのかに気づきさえすれば!
いじめを克服するには、友人を作ることです。人間の友とは限りません。身近な例で言えば犬でも構わないのです。暖かい体や舌が、孤独をいやしてくれます。そして人間の友人を作る方法ですが、「類は友を呼ぶ」と言いますように、いじめをしている側も一人ではなかなか無理です。つるんででなきゃ、来れません。こちらは人に認められる、つまり友人として認められるように、文と武、つまり、勉学やスポーツでコツコツ一人で自分を磨くのです。私の場合、体力的にまだ自信がなかったので、人並みに勉学で追いつこうと、母親が教員免許を持っていたので、助けられて勉学に努力しました。スポーツに関してはいじめを克服した小3から剣道をやり始めました。
次に、いじめが自分に何を問うているのか、はっきり気づくことです。つまり、この世は生存競争だと言うことです。君は赤ん坊、つまり、お母さんの胎内にいる時から、必死に本能的に生き残ろうと努力してきました。今、生存の危機が迫っているのです!この危機を脱し、努力して生き残るか?それとも諦めて自殺するか?心理学でセリグマンという学者がいます。その人の実験で、学習性の絶望感、つまり、あきらめの学習というのが、犬の電撃実験で確かめられているのですが、人の場合、いじめを受け続けた結果、あきらめを学習し、うつとなり、自殺に至るのです。そうならないためにも、いじめを克服しなければなりません。いじめを克服したとき、ひとまわり成長した自分に気づくはずです。皮肉にも、学校の先生たちがなかなかいじめを止めたがらないのは、
そういった一面があるからかもしれません。
第3に、大人の遊びに積極的に加わることです。何も背伸びをしろという意味ではありません。正月に親戚同士で集まったときなどに、ゲームをすることでしょう。百人一首、人生ゲーム、麻雀、
ポーカー。大人のゲームには時として、人生の教訓が隠されていることもあります。大富豪というトランプのゲームをご存じでしょうか。革命という技があります。これをすると人生がひっくり返ります(笑)。やってみた方はすでにご承知の通り、強いカードが弱くなり、弱いカードが強くなるのです。「革命?どういう意味?」素朴な疑問でした。そこからフランス革命という、世界史でも最も有名な出来事の一つを知りました。なら、話は簡単です。王だけを倒せ!
王を倒すために私が心がけたことが一つあります。周りで無視した人たちは、これから自分の友人になるかもしれない人たちです。復讐はやめましょう。王を倒すと言っても、歴史上のルイ16世のように殺すわけではないのです。文武に渡り、その人を圧倒するように努力しましょう。
まとめ。いじめは逆説的ながら、君の人生の過程において必要かもしれません。どうでもいいやつなんかにいじめなんかやって来ませんから。保証します。君の人生に輝きが来ますように。