福島原発危機リスクマネジメントISO31000官僚制度(12)福島原発危機リスクマネジメントISO31000官僚制度(12)
前ブログで、「初代は武力で」官僚になった事例を紹介しました。今回は武力行使なしで官僚になった事例です。
―― 今回は三代目の話をします。武力なして官僚になった事例です。
私の父親田邉多聞は、東京帝国大学法学部政治学科に入学しました。卒業前に高等文官試験の行政科に合格して卒業とともに内務省に入省しました。母方祖父北垣国道と同じ内務官僚となったのです。
配属先は朝鮮総督府鉄道局でした。大東亜戦争敗戦時は、総督府交通本局南朝鮮地方交通局長をしていました。法学部の前に東大工学部機械科を卒業していましたから、技術の分かる文系高等官として肩で風を切って歩いている父親の姿は小学校三年生の私の目にも頼もしく感じました。
―― 現在は司法官試験が難関中の難関となっていますが、当時は今日の司法官試験に相当する高等文官試験法律科よりも同行政科の方が遥かに難関でした。そうでしょう。国を牛耳る官僚、すなわち政治家になれるのですから。このことは父から何度も聞きました。
高文の「法律科よりも行政科の方が難関」という事実を、今日の言葉で表現すると、「公務員上級試験の方が、司法官試験よりも難関」であるということです。
このことからお分りのように、東大法学部政治学科は、「官僚」となって「政治」をやる人材の育成機関でした。もう一度いいます。官僚が政治をするのです。これが薩長政府の作った枠組みでした。
―― 北垣国道は武力で政治を担う身分になりましたが、孫の田邉多聞はそのような苦労をすることなく、筆記試験で政治を担う身分を獲得できました。即ち武力行使なしで官僚になったのです。
福島原発危機に関連してリスクマネジメントISO31000を説いています。官僚制度に対する批判があるので、官僚を弁護する立場で我が国の官僚制度に関する私見を述べています。