田辺(田邉)太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-10)
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岩倉遣米欧使節団の成果に関して田邉太一はつぶやく
<使節団の副産物>
岩倉遣米欧使節団は"主目的"に対して何ら成果はなかった。当たり前だ。しかし「国力がないと対等な話し合いはできない」。このことを薩長政府が知ったことは、副産物として大きな成果だった。さらに「国力とは工学だ」と理解したことも大きな成果だった。伊藤がエンジニアの育成に着手したことは大成果だった。甥朔郎はこの枠組みに乗って家名再興に成功した。
<使節団の立派な大変身>
岩倉具視が右大臣を捨てて未知数の日本鉄道の社長になろうと言い出したこと、並びに伊藤博文が他の要職を捨て工部卿に就いたのは立派だ。一行は岩倉が自慢の髷をきるなど旅行中に変身した。五稜郭の戦いで薩長軍に投降した大鳥圭介は「我を恥じ白骨を青沙に曝す」といっていたが、使節団に加わった後に一念奮起して工部大学校の校長を引受けた。
<西洋の技術事情>
私は長崎海軍伝習所においてオランダ人教師から航海術、造船学、機関学、算術等を正式に習ったエンジニアである。加うるに2度パリへ公務出張し、フランス軍艦や商船、鉄道列車に乗った。だから西洋技術事情には詳しい。長州ファイブの伊藤はそうではなかったが、岩倉、大久保は驚いた。素直に驚いたところが感心である。これにより、使節団の新使命は決まった。
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