田辺(田邉)太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-12)
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京都の命の水、琵琶湖疏水に関して田邉太一はつぶやく
<榎本/大鳥/荒井と朔郎>
榎本、大鳥、荒井の三人は甥朔郎の面倒をよく見てくれた。大鳥は工部大学校長として。荒井は大鳥の朔郎に対する卒論テーマの相談に乗ってくれた。榎本は文部大臣のとき朔郎の結婚媒酌人となってくれた。びわ湖疏水はこの三人が朔郎にやらせたようなものだった。幕府時代の縁が世紀の大土木事業を推進したとも言える。親戚縁者の絆だ。
<長州軍北垣国道>
甥朔郎の嫁静子は鳥取藩士北垣国道の長女だ。国道は1863(文久3)年、農兵を募って生野代官所を武力襲撃し、明治維新戦争の引き金を引いた。戊辰戦争では、長州旗下鳥取藩八番隊長として実戦に参加し、幕府を攻撃した。幕臣の朔郎にとっては憎い敵である。しかし維新戦争後20年余りにして早くも仲直りした。会津藩と長州藩は平成になって初めて仲直りしたのに。
<びわ湖疏水の立案推進者北垣国道>
甥朔郎が卒業論文に書いた琵琶湖疏水を、朔郎がそのまま工事推進したかのように伝えられているが気恥ずかしくて面映い。長州閥北垣国道が京都府知事時代にやったものだ。しかし北垣は自分の手柄を娘婿朔郎に譲った。北垣国道は、徳川幕府のテクノクラート、榎本、大鳥、荒井、田辺のお陰で男爵、正二位に出世したことを恩義に感じてくれたものと思う。
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