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田辺(田邉)太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-16)

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娘龍子に関して田邉太一はつぶやく。
<三宅花圃>
娘龍子が朔郎とその姉鑑子をモデルにして1888(明治21)年に「薮の鶯」を書いて明治の女性小説家の先駆者三宅花圃となった。薩長政府から外されて、福地源一郎等と鬱憤晴らしで遊興費がかさみ家計が苦しかった際、長男次郎一が死んだ。葬式代を稼ぐために龍子が頑張った。坪内逍遥の当世書生かたぎを見て、このくらいなら自分も書けると思ったそうだ。

<樋口一葉>
樋口一葉が娘龍子と同時期に萩の家にいた。龍子の薮の鶯をみて「このくらいなら私も書ける」といって書いた小説が一葉の処女作「闇桜」だ。娘もよいことをした。当時、鹿鳴館時代であり、舞踏会へしばしば行っていた。父親の私は元老院議官に外されて不満だったが、龍子が鹿鳴館では元老院議官の娘として立派にお役に立っていたのは嬉しい。

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