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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-5)

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戊辰戦争に関して田邉太一はつぶやく
<維新ではない。武力革命だ>

薩長政府は明治"維新"と名づけているが、実際は明治"武力革命"だった。地方に住む下級武士が中央に住む上級武士に挑んだ革命だった。国民の大多数を占める農民、職人、それに商人は参加しなかった。即ち国民の5%以下を占めるに過ぎない武士の間の武力闘争だった。その結果、中央と地方の政権交代が起こった。徳川幕府が薩長政府に置き換えられたに過ぎない。

<江戸城無血開城>
江戸城明け渡しの時は、私は目付だった。将軍の前で発言できるなど、厄介の身から大変な出世である。勘定奉行小栗忠順(上野介)の側につき、勝海舟の無血開城派と対峙し、薩長に対して徹底抗戦を主張した。それまでに取った国益優先の行動と矛盾しているが、パリ万博出品の際、薩摩の独立旗を掲げるなど汚いやり方に憤慨した結果だ。薩摩だけは許せない。

<小栗上野介と近藤勇>
私は親しい榎本、大鳥、荒井の三人と組んで小栗側に立ち、薩長に弓引いた。敗れた三人は幕府艦隊を率いて北海道函館でなおも弓引いた。しかし小栗上野介は、帰農して恭順した。これを薩長は捉えて斬首した。京都で薩長を殺戮した新撰組の近藤勇を捉えて斬首したが、国家を思う公憤の小栗と武士に出世することを夢見た私欲の近藤を同列に見るなど薩長は許せない。

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