田辺(田邉)太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-24)
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自分の生い立ちに関して田邉太一はつぶやく。
<田邉家は代々学者家>
私は三河譜代の田辺家、儒学者田邉石庵の次男に生まれた。父は昌平坂学問所の教授から、甲府徽典館の学頭となり、甲府勤番幕臣師弟の教育を受け持った。石庵の養祖父田邉貞斉も学者であり、江戸名家墓所一覧に記載されている。浅草本願寺(後の東京本願寺)に、六代遡った田邉菊忠から父田邉石庵まで埋葬されている。
<伝説の祖先>
紀州田辺の熊野別当堪僧、即ち田邉堪僧が祖先だといわれている。堪僧は熊野水軍をもっていた。そして源平合戦において源氏に加勢して壇ノ浦の大勝利をもたらした。堪僧の祖先は歌人藤原定家である。よって田邉家の氏が藤原である。鎌倉幕府が開らかれた際、田邉堪僧の子孫が鎌倉にはせ参じ、室町、戦国を経て徳川の御家人になったと伝承される。
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