前ブログからつづき、山内昌之先生の産経新聞記事を紹介します。2011年11月24日と2011年11月17日の記事です。
前ブログからつづき、山内昌之先生の産経新聞記事を紹介します。2011年11月24日と2011年11月17日の記事です。
私は明治の政治家は、明治武力革命を仕掛けて勝利した軍人であったと理解しています。ですから、腹の据わり方が違います。彼らはつねに死に場所をもとめて働いています。
―― 山内昌之先生は北垣国道を評して言われます。「幕末明治の面白いのは、こうした生粋の革命家が民政家に転じても業績を上げる人物の多かったことだ」と。
―― 私は、このことは徳川時代の武士が受けた倫理教育に根づいていると考えています。自分のことよりも、公(自分が属する組織)のことを優先して考えるという習慣からくると考えます。
―― さらにいうと、彼らは死をおそれてはいませんでした。立派に死ぬことが、立派に生きることだと理解していました。確かに立派に死んだ人は、今でも私たちの記憶の中で立派に生きています。例を挙げましょう。
―― 明治の元勲、大久保利通、西郷隆盛、伊藤博文はいずれも死を覚悟して仕事をしていました。そう私は考えています。彼らは死に場所をもとめて仕事をしていました。彼らは徳川時代の武士ですから、彼らの関心事は「いかに立派に死ぬか」でした。そして立派に死んで今も私たちの記憶の中で生きています。彼らを私は尊敬しています。
次ブログへつづきます。