片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(5)
前ブログからつづきます。
―― 片山東熊は、1979(明治12)年に工部大学校を造家科第一期生として卒業し、直ちに工部省へ入省しました。そして1989(明治22)年に宮内省内匠寮に転省しました。そして1904(明治37)年から1915(大正4)年まで内匠寮の長官である内匠頭を拝命していました。
―― 田邉朔郎は、1983(明治16)年の土木科第五期生ですから、二年間だけ片山東熊と田邉朔郎は工部大学校において同窓生だったことになります。
―― 田邉朔郎の姉、鑑子(てるこ)が片山東熊に嫁いだ縁は、おそらく工部大学校での二人の縁であったと私は想像しています。それにしても明治武力革命をしかけた長州軍の人間に対して、負けた徳川幕府の幕臣の娘が嫁に行ったとはおどろきです。しかも戦争から、20年しか経過していないのに。
片山東熊と田邉朔郎の話はいったんここで中断し、明日から朔郎の岳父北垣国道の話をします。北垣国道も長州人です。