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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(19)

前ブログからつづきます。

「ままならぬは加茂の水と法師」
 と、後白河法皇が言われました。雨が降れば洪水になるのに、日照りのたびに水不足に見舞われた土地柄です。

 ―― 現在の京都市の発展は、琵琶湖疏水なしには考えられません。琵琶湖の水がなければ、今の京都市は奈良市と同じ程度の地方都市にとどまったでしょう。

―― 琵琶湖疏水がなければ、理系ノーベル賞を数多くだす京都大学はなかったでしょう。つまり大阪に第二の帝国大学をとられたでしょう。ノーベル賞をだした島津製作所もなかったでしょう。現在のハイテク都市京都はなかったでしょう。

 ―― 大きな寺や神社は別にして、中小の寺社は経営が成り立たず、消滅したでしょう。そして普通の都市になり、その結果、大東亜戦争末期には米軍の空襲目標になったでしょう。琵琶湖疏水は、北垣国道と田邉朔郎から京都市民への大きなプレゼントです。


一区切りしたので、一旦ここで終わります。いずれつづきを書く予定です。

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