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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(3-7) ― 子孫が語る。

徳川幕府のNo.1"職業外交官"田邉太一の生き方を尊敬する子孫が、太一に代わって太一の本音を想像して「つぶやき」の形で紹介しています。

(11) 松平總裁のこときは、やゝ気魄あり尋常紈袴輩にあらすといへとも時勢を識るの見なく殆とまたかの浪士輩に傀儡使されたるものにして、決して濟世の器ならず、
川越藩主松平直克政治総裁は、気骨のある人物で"お坊ちゃん"ではなかったが、時の流れを見る目がなかった。幕府にチャンスがあるという洞察力にとぼしく、薩長に"いいように"利用されてしまった。このような無能者を政治総裁に据えなければなかった幕府上層部のお粗末さを嘆く。太平に慣れた幕府上層部の人材不足が薩長による明治武力革命をまねいたのだ。

(12)中間小笠原、阿部、(豊後守)松前閣老のこときは、頗る開国の主義を持し、外交の外交た
る所以を知るものゝごときも、また時勢の沮する所、前疐後跋、その志を遂る事を得す、末年やゝその方を得るに及ひし時は、既に幕府運去の秋にあり、
老中を任命された唐津藩主小笠原壱岐守長行、白川藩主阿部豊後守正外、蝦夷松前藩主松前伊豆守崇広等は、開国の必要性を知り、外交の"何たるか"を知っていたようであるが、残念ながら歴史舞台への登場が遅かった。すでに薩長の目論む方向に政治は動いていた。幕府上層部には薩摩の大久保のような策士がいなかった。小栗上野介の出番が遅すぎた。なかった。

次ブログへつづきます。

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