田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(4-6)
前ブログからつづく。
田邉太一は更につぶやく。
<歴史は繰離返す>
"関が原"や"大阪冬夏"では、内戦をしている余裕があった。当時の外国ポルトガルとスペインは、日本を武力攻略する力がなかった。と、言うよりも。日本の武力が勝っていたのだ。当時、全世界の鉄砲の1/3がわが国に存在していた。日本刀製造で培った製鉄技術がそれを支えたのだ。遠路はるばる帆船で航海してきて攻撃できるような国ではなかった。内戦できた。
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明治武力革命は、ヒエラルキー社会のシャッフル(階層社会の上下入れ替え)
田邉太一はつぶやく。
<家格の低い幕臣の高い教育レベル>
幕府旗本の上層部の武士は、私のように長崎海軍伝習所に入所して外国事情に接することはなかった。だからやれもしない鎖国攘夷を暢(のん)気に唱えた。しかし実務をこなす幕府外国奉行所はよくやった。繰り返すが、北海道を守った。対馬も沖縄も守った。小笠原もまもった。本土が外国の植民地になることを防いだ。これは下部組織がしっかりしていたお蔭だ。
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大日本帝国陸海軍は、薩長革命軍のDNAを継承。
阿弥陀仏の下で田邉太一はつぶやく。
<日露戦争の勝利は当然>
繰り返す。薩長政府は軍事政権だった。戦争のプロだ。故に西南戦争、日清戦争、日露戦争に勝利できた。戦争は常に訓練している側が強い。最善の訓練は実戦だ。この意味で日露戦争までの勝利は必然性がある。しかしその後の対処が悪かった。アメリカに愛想をつかされ、親日英国までも敵にした。戦争のプロなら勝って兜の緒をしめよ。調子にのってはだめだ。
田邉太一は阿弥陀如来様の御許から昭和を更に嘆いてつぶやく。
<大東亜戦争への突入>
薩長は自分たちの軍隊を天皇直属に据えた。その結果、後の515事件や、226事件を誘発し、挙句の果てに大東亜戦争に突入した。日清日露戦争の勝利は、薩長軍の勝利であったことを認めるが、その勝利が無に帰した。樺太、千島列島、朝鮮半島、台湾を失い、満州にあった南満州鉄道の利権をうしなった。日清日露戦争の勝利が完全に帳消し。徳川時代に戻ってしまった。
次のブログにつづく。