田邉康雄は『岩倉使節団随行幕臣子孫の会』を立ち上げました。
岩倉使節団とは、高等学校の教科書にも載っているので説明の必要はないと思います。しかし記憶を新たにしていただくために若干の説明を加えます。
団長は、岩倉具視でした。以前、五百円札の顔でした。岩倉使節団とは、彼を全権大使をリーダーとする遣米欧使節団のことです。出発は、1871(明治4)年11月15日であり、帰国は1873(明治6)年9月13日でした。副団長は、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允、山口尚芳の四人でした。
訪問先、米欧列国政府のアポ取り、スケジュール調整、本国との通信、旅費送金、通訳など、使節団を支えた裏方が、旧徳川幕府の外国奉行所に勤務していた幕臣団です。14名中13名までが旧幕臣でした。これを岩倉使節団随行幕臣と称します。そのまとめ役が随行書記官長田邉太一でした。それら幕臣の子孫は、現在のところ私を含めて三人が判明しています。
今回、とりあえず『立ち上げ宣言』をしました。『柳営会』の会員であり、かつ、田邉太一の甥の孫である私にしか宣言できる人はいないと思った上での『挙手』です。先生に指される前の挙手ですから、早まって「手を上げた」かもしれません。しかし今後、賛成者が出てきて何らかの活動ができれば、これに越した幸せはありません。