徳川将軍宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-6
我が田辺家は、徳川家において武田遺臣として扱われていたと書きましたが、甲斐武田家においては越前朝倉家の遺臣として扱われていました。そして朝倉の前は、丹後田辺でした。その前は、紀伊田辺に居ました。源平時代の熊野神社の別当、藤原湛増が田辺家の祖先です。湛増は田辺に住んでいたので田辺湛増と呼ばれていました。なお、ここで言う「柳営」とは、徳川幕府の幕閣のことです。もう30年も以前に会の発足に当たり、徳川将軍家宗家18代徳川恒孝様(現在の御宗家)のお許しを得て譜代直参旗本子孫の会に冠名させていただいたそうです。