徳川宗家と柳営会。直参旗本だった琵琶湖疏水の祖父田邉朔郎-7
我が田辺家の祖紀伊田辺の田辺湛増は源平合戦の際、義経に味方して壇ノ浦の勝利を導いた話はよく知られています。その手柄によって頼朝から関東に大きな所領を与えられたのですが、子の湛快は「承久の変」において後鳥羽上皇側に加勢して破れ、丹後田辺に逃れたものでした。その後、鎌倉、南北朝、室町、戦国、徳川、明治大正、昭和平成時代を我が田辺家は、今日まで800余年間をなんとか生き延びてきました。私は湛増から29代目です。なお「柳営会」とは、徳川将軍家譜代の大名・旗本・御家人子孫の会です。そして柳営とは「幕閣」を意味します。もう30年も以前に、徳川宗家18代当主徳川恒孝様のお許しを得て冠名させていただいたそうです。