徳川宗家と柳営会-17。祖父田邉(辺)朔郎(琵琶(びわ)湖疏水の建設者)は直参旗本だった。
柳営会の入会資格審査担当者様から「1867(慶応3)年10月の徳川慶喜による大政奉還の際に、徳川将軍家から家禄をもらっていたことを証明してほしい」と言われた時には困惑しました。大政奉還時の当主である7代目の祖父『田邉朔郎』は、1862(文久2)年に父親の6代『田邉藤原孫次郎勿堂』を失っていたのです。2才の幼児が家督を相続していたかどうか、それを証明する書類はありません。江戸開城の際の戦火で屋敷が全焼した故。