徳川宗家と柳営会-18。祖父田邉(辺)朔郎(京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者)は直参旗本だった。
「大政奉還時の当主が徳川将軍家の録を食んでいたか?」との質問には困りました。そこで『田邉(辺)朔郎博士60年史』に書いてある「祖先の遺徳により幕府から糊口を凌ぐ程度の録をいただいていた」との記載文に加えて1866(慶応2)年に撮影された5歳の田邉朔郎が刀を差して立派な武士の服装で映っている写真を示しました。もしも浪人していたならば、このような写真を撮影してもらえる筈はないとの論理です。これによって御納得をいただきました。