徳川宗家と柳営会-29。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。
大番は攻撃を主目的とした(屋外)野戦部隊であったので、この伝統の上に立って江戸城においても屋外勤務でした。今大手門を入って二の丸庭園に上がる手前に大番同心小屋が残っています。入交代番ですからこれらを五番方といったそうです。いまでも昼夜連続で操業する工場等においては操業担当労働者のことを番方といいます。また千代田区に番町という地名があります。「番町皿屋敷」の番町です。現在は一番町から六番町まであります。