柳営会とは(15)・・・幕臣子孫の会
「柳営会とは(14)」からつづきます。「柳営会」を簡単に言うと「幕臣子孫の会」です。
前回述べたように田邉家は、徳川将軍家の後半においては学問で立身した家であり、その伝統は明治・大正・昭和・平成と現在までつづいています。以下にその伝統を述べます。
―― 戊辰戦争で悲惨な境遇に落ちた祖父田辺朔郎は、苦労して京都に行き、琵琶湖疏水を設計・建設して東大教授、京大教授になりました。
―― その嗣子田邉多聞は京都一中、三高から東大工学部/法学部を出て高文に合格して官僚となり、内務省に入省して45才にして勅任官になりました。47才の時に大東亜戦争敗戦によって職を失いました。しかし学問をしていたので立ち直りました。
―― 多聞の子、私田邉康雄は京都の鴨沂高校から京大工学部燃料化学を出て三菱化成(化学)に入社し、今日までエンジニアとして活躍してきました。学問を身につけたお蔭です。
―― 私の長男は東大工学部応用化学、次男は東京工大応用化学、長女は早稲田大学建築学のそれぞれ修士をでてエンジニア一家五代目として活躍しています。
田邉家は学問を身につけて立身する家なので、三人の子供にも学問を身につけさせました。この伝統は今後子孫代々守ってくれるでしょう。
この「柳営会とは」の項をお読みになって、「柳営会会員資格がある」と思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。
「柳営会とは(16)」へつづきます。