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柳営会とは(16)・・・幕臣子孫の会

「柳営会とは(15)」からつづきます。「柳営会」を簡単に言うと「幕臣子孫の会」です。

 学問の家、田邉家の現在にいたる伝統を紹介したので、今回は歴史を遡ります。

1. 田辺家は紀伊田辺の住人熊野神社の別当、田辺湛増の子孫であり、私はその29代目です。
2. 丹後田辺を経由して甲斐武田の家臣となり、後、徳川家康に仕えました。
3. とくに江戸時代の後期になると学問をもって人に知られるようになりました。
4. 朔郎は1861(文久1)年、徳川幕府講武所西洋砲術科教授、田辺孫次郎の長男として生まれました。
5. ところが一歳の時、父親が当時江戸に流行った麻疹で死亡し、母子家庭になりました。
6. 本来なら生活にも困る状態でしたが、幕府は朔郎を小普請組扱いにしてくれました。
7. ですから生活に困ることはございませんでした。これは祖先の遺徳と言われております。
8. 朔郎には学ぶ環境が整っていましたから、四歳半にして漢文とフランス語の勉強を開始しました。
9. 徳川慶喜による大政奉還時に、朔郎は七歳と十一ヶ月になっていました。
10. 江戸城無血開城後の戊辰戦争の最中、天皇を頂く薩長討幕軍は、徳川家に静岡藩70万石を与えました。
11. 徳川家が旗本に示した身の振り方は三通りありました。①新政府に出仕する、②無録で静岡藩士となる、③知行地に帰る。
12. 殆どの旗本が無録を厭わず静岡藩士を選びましたが、朔郎一家はこの選択肢のどれもとれませんでした。
13. 代わって江戸開城の翌日に埼玉の幸手に逃避しました。
14. 逃げた理由は、薩長軍のみならず、旧幕臣の守旧派からも迫害を受けたからでございます。

この「柳営会とは」の項をお読みになって、「柳営会会員資格がある」と思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

「柳営会とは(17)」へつづきます。

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