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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(9)

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北垣国道は、歴史に大きく残る「生野の変」の首謀者です。当時北垣晋太郎といいました。この二人が同一人物であることは、世間ではあまり知られていません。このブログを読んだ方は、このことを御認識していただくようお願い申し上げます。

―― 北垣晋太郎国道は但馬養父の庄屋(郷士)出身であり、池田草庵の塾に学んだ勤皇の志士でした。譬えて言えば、新撰組の近藤勇のような身分でした。しかし志す方向が異なりました。ロシア等が国境を脅かしているときでしたから、目的は国防でした。

―― 晋太郎国道は鳥取藩士や福岡藩士と共謀し、農兵300人を募集し、これを指揮して生野銀山の幕府代官所を襲撃しました。

―― 福岡藩士の平野国臣に頼んで8月18日の政変で長州へ逃げていた七卿落ちの一人、沢宣嘉を担ぎだしました。しかし3日で平定されました。農兵は負けると知って逆に指導者を後ろから鉄砲を撃ちました。沢は逃げました。

―― リーダー格の多くはその場で切腹しました。北垣晋太郎国道も養父の実家にまで逃げ、そこで切腹しようとしましたが、母親に「再起を期せ」と言って制止され、鳥取に逃げ込みました。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(10)。

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 ―― 死亡者が出なければ事情は緩和されます。事例を上げましょう。

―― 福島原発事故においてあれほど甚大な災害が発生しても、警察の捜査を受けたという話は報道されていません。私は、死亡災害で出ていないからだと考えています。

 ―― 死亡者どころか、怪我人の発生も報告されていません。死傷病報告書23号様式(休業4日以上)の提出は必要がないようです。ただひとつ、ベータ線による軽度の火傷が発生したようですが、休業4日未満だったようです。24号様式の提出だけで済んだのでしょう。

 死亡災害がでるか、でないかによって警察の扱いが天と地ほどの差があるのです。企業はこのことをよく知っています。

 
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最近の社内技術者研修の実績 ― 安全大会、安全講演、危険予知KYK、行動災害防止、設備災害防止(1)。

今年平成23年6月10日に社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部から公募がありました。八王子労働基準協会様が八王子地区安全大会での安全講演をコンサルタント会所属の安全コンサルタントにやってほしいと。募集すると。
で、私は応募しました。すると選ばれました。さっそく連絡をとりました。労働基準協会ですから、事務局長は元監督官です。
その方が言われるには、監督官の話とはちがう、肩の凝らない話をしてほしいと。もちろん、安全に関する話です。これを受けてタイトルを提案しました。「福島原発危機に見る安全」と。事務局長様はお喜びになり、言われました。「それがよい」と。合意しました。

講演時間は、60分です。そしてコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

 そこで早速講演原稿をパワーポイントで作成しました。以下はその目次です。
1) 放射能 怖い? 怖くない?
2) 放射線 α線、中性子線、β線、γ線 
3) 被ばくの結果 大量(即死)、中量(蛋白質破壊)、少量(遺伝子破壊)、微量(無害)
4) シーベルトとベクレル
5) 微量と少量の判定方法(田辺式)
6) 半殺し(これが怖い)
7) 福島の現場はよくやっている(東電、関電工、東芝、日立、IHI)。
8) 福島原発現場から電話(声援ブログへの感謝) 水素爆発(驚愕【核爆発?】) - いや違った。安堵.
9) 有用な情報 ― CNN、BBC、大前健一氏
10) しかし今でも知りたいこと ― ベント弁(どこ? どうやって? どこへ?)

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(9)。

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 三菱化学水島事業所で全身火傷を被災したオペレーターのことを話しました。さて話はこれからです。全身火傷を被災すると予想されるその後の経過は以下の通りです。

―― 3日乃至1週間苦しんだ末に死亡
これが予想される結果です。

 ―― 死亡災害が発生すると警察が入ってくることをすでに述べました。まず"業務上過失致死罪"を視野に入れているようです。そして"安全配慮義務違反"は無かったかどうかを調査するようです。

―― 警察だけではありません。労働基準監督署の監督官も警察並みの権限をもって入ってきます。このことも述べました。

―― 調査のの結果、書類送検を受けて有罪者がでる可能性が否定できません。企業としては業務上のミスということで有罪者を出すことは、耐えられません。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(8)

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勅語を賜りました。曰く「琵琶湖疏水が完成しました。官民協力の成果が上り、まことに喜ばしい。従来から美術・工芸が盛んな京都に相応しい事業である。今後この水を活用して工業を興し、量来の富の蓄積を期せ」と。

―― 国の元勲達は、競ってトンネルクラウンに石額を書きました。書いたのは、久邇宮邦彦殿下、三条実美、伊藤博文、西郷従道、山縣有朋、松方正義、井上馨です。知事北垣国道も書きました。
青年技師の田邉(辺)朔郎は英国から英国土木会特賞、米国からセントルイス万国博覧会銀賞を受賞しました。ドイツからはミュンヘンのドイツ博物館殿堂入りの栄誉を受けました。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(7)

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こんな大事業を京都市だけで実行しました。第三代京都府知事北垣国道が事業化推進。工部大学校で「琵琶湖疏水」をテーマに卒業論文を書いた、21歳の田邉朔郎が工事の設計・総監督に当たりました。

―― 京都府だけで実施したために、完成を危ぶんでいた国は当初冷淡でした。しかし見事に完成しました。竣工式には明治天皇・皇后両陛下が御臨席されました。「車駕東行」以来始めてで、20年振りの天皇陛下の御還幸に京都市民は歓喜しました。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(6)

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当時、日本の重要な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていました。琵琶湖疏水については外国人技師達は不可能だといいました。そこで琵琶湖疏水はずべてが日本人の手によって行なわれました。この工事の完成をもって早くも明治中期に日本の土木技術の独立がなりました。

―― 工事には近代工法を取り入れました。トンネル掘削には日本で最初の縦坑工法で工期短縮しました。山の途中で二箇所縦坑を堀り、トンネルの中間から両側に向かって進みました。掘削深度を浅くするために地形の沢の部分を選びました。ですから湧水に悩まされました。現在なら地形の尾根を選ぶでしょう。

―― インフラストラクチャーの整備されていないあ時代のことで大変な苦労がありました。例えば、電力が無いのでトンネル内部の照明はカンデラでした。湧水汲出しポンプは蒸気駆動。煉瓦は自製。技術者・技能者は現場で教育。ダイナマイト、雷管、導火線、セメントは輸入品でした。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(5)

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しかし幹線の琵琶湖疏水は京都市民の生活必需品です。現在京都市民の飲料水の略100%を賄っています。琵琶顔疏水なしには京都市民は一日も生活できません。関西電力が5000キロワットの発電を行なっている。これはもともと京都市のものだったが、大東亜戦争中に発電と送電が「日本発送電株式会社」に強制的に統合されたもの。

―― 第一疏水は1885(明治18)年に着工、1890(明治23)年に完成しました。完成当時、通舟用運河としては世界最大級でした。舟の通るトンネルがあり、舟のケーブルカーもある運河など、前例がありません。とくに舟のケーブルカーは、インクラインは世界最大級で画期的でした。

―― その上、世界初の電力販売事業用の水力発電を開始しました。出力1500キロワットは当時世界最大でした。米国のナイヤガラ水力発電に先んずること5年です。ヨーロッパ諸国は、日本に見習って水力発電を開始しました。日本最初の超大型土木・電気事業です。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(8)。

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「死亡事故ですから書類送検を受けることは、ある意味では当然」
と前ブログで書きました。

 ―― これに因んで、私が三菱化学で経験した話を紹介しましょう。も40年以上も前の話です。私は水島事業所の製造二部に勤務していました。ここは合成繊維/合成樹脂原料(モノマー)を製造する部署でした。
 
 ―― シクロヘキサンというガソリンのような引火性液体をベンゼンから作る工場でした。この工場では、工程管理のためにベンゼンを定められた時刻に工程からサンプリング(試料採取)していました。

 ―― ある日オペレーターがいつも通りサンプリングしました。すると静電気で着火しました。そのオペレーターは驚いて転倒しました。火の付いたベンゼンを頭からかぶりました。これにより、オペレーターは全身火傷を負いました。

―― あいにく一人作業でした。助けにくる人はいません。発見された際は、苦しんでいる姿でした。直ちに救急車で病院に運ばれましたが、数日後にお亡くなりになりました。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(7)。

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 前述した森田化学の事故は、私に言わせてもらえれば安全技術の伝承が十分でないが故に発生した初歩的ミスです。しかし予告通りの報告書が出ました。即ち、

「複雑な原因が、複合的、かつ、重層的に発生し、管理者としてはそれを予見できなかった。よって"安全配慮義務"違反はなかった」と。

―― さすがにこのように明言はしていませんが、報告書を丹念に読むことによってこのことが言外に表現されていることが読み取れます。そのように読み取ることのできない人もおられるでしょうが、少なくとも私にはそのように読み取れました。

 ―― この会社は事故直後に書類送検を受けています。死亡事故ですから、ある意味では当然です。あとは有罪になるかどうかであり、このことが企業にとっては死活問題とも言えるほど、重要なことなのです。そのことに因んだ実例を次のブログで紹介しましょう。
 
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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(6)。

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 2009年12月に大阪の森田化学で爆発事故が発生し、社員が何名か亡くなりました。私はただちに原因を推定してブログに発表しました。単純原因は単純な見落としによる"ミス"であることを看破しました。このブログのアーカイブを"森田化学 事故"で検索してください。私の当時の詳細な原因推定が御覧になれます。さて、

―― 単純なミスではありますが、ブログは以下のことばで結びました。即ち、
「事故が発生した直後に原因は○○○○だったと、責任者が直ちに断定したとしても、これは外部には言いにくいものです」と。

―― そして付け加えました。「仮にわかっていたとしても。事故原因究明委員会を設置して、大学教授を招いて調査に参加してもらい、そして結論が『複雑な要因が複合的・重層的に作用しあって発生した事故であり、予見はできなかった』となってほしいものです」と。

 ―― すくなくとも社長の立場では、こうなってほしいものです。話戻って、

―― これは予告でした。そしてこの予告通りの報告書が2010年5月18日にインターネットで公開されました。思わず苦笑してしまいました。私のブログをフォローしていた生涯現役エンジニア塾の塾生から、「先生の予告通りの報告書がでましたね」と、この人も苦笑しながら告げてくれました。

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★生涯現役エンジニアを目指す方へ 平成24年度エンジニアのための中小企業診断士一次試験・二次試験合格のポイント。新技術開発センター主催 機械振興会館研修室【12月17日(土)】

生涯現役エンジニアを達成するには、有力資格が必須です。そしてエンジニアなら、技術士はもっていて当たり前です。逆にいうと、技術士ももっていないエンジニアが、生涯現役エンジニアを目指しても成功しません。技術士をもっていることを必須条件とし、これを補強する幾つかの資格が必要です。現に私はやりました。その補強資格のひとつが中小企業診断士です。

中小企業診断士とは経営コンサルティングに関する唯一の国家資格です。それだけに試験の難易度は高くなっています。中小企業支援法に基づいて経済産業大臣が登録する資格です。生涯現役エンジニアを目指す人にとって見逃せない資格のひとつです。

柴崎理先生と近江良和先生が中小企業診断士試験の受験勉強のやり方を説明された後で、私田邉康雄が中小企業診断士等の資格でもって技術士を補強し、三菱化学を60歳で定年退職した後、いかなる組織にも雇用されることなく、75歳の今日までに150,000,000円(1億5千万円)を稼いだ実例を開示します。

私の話はさておいて、現在の不況と高齢化社会の到来を見据えて資格取得に励む人が多いことを知るよいチャンスです。そしてこのことに鼓舞されることが今後の人生を変えると思います。

このセミナーは、以下のURLを開けば、そこから申し込めます。
http://www.techno-con.co.jp/item/17106.html

あるいは、電話 03-5276-9034 へ申し込むこともできます。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(4)

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「哲学の道」として知られる疏水べりの道は、この支線の東山の裾部分です。現在この支線の水は埋設鉄管により、ほぼこのルートに沿って京都工芸繊維大学の南に位置する松ヶ崎浄水場へ送られます。だから機能的には不要です。しかし景観保存のために銀閣寺の辺りまで必要最小限度の水が確保されています。それから先は廃線されました。

―― 第二疏水は飲料水確保が目的です。大津からインクライン上部まで一直線にトンネルで結びます。流量は毎秒約15立方メートルです。舟は通れません。第一疏水の22年後に完成しました。

―― 琵琶湖疏水の内、すでに利用されなくなった部分が観光地として幹線水路よりも有名です。すなわち、「インクライン」、「哲学の道」、及び「南禅寺の水路閣」です。だから、京都の疏水と言えば小さな小川ぐらいに誤解されています。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(5)

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―― 私は厚生労働大臣登録の労働安全コンサルタントです。だから、労働基準監督署の監督官等による安全研修を頻繁に受講しています。この研修を通じて監督署の考え方を知りえる立場にあります。

 ―― 監督官は、日ごろは企業にとって親切な存在ですが、ひとたび労働災害を起こし、"死亡"事故を起こすと、態度が一変します。即ち警察と同じ権限をもつ"怖い"存在に変身します。家宅(工場内)捜索ができます。現場検証できます。ですからその対応が大変です。これを「司法権限をもつ」と表現します。

  ―― 対応する側は、有罪になることを恐れます。ですから原因調査に当たってありのままをしゃべることは期待できません。ですから調査に時間がかかるのが通例です。

―― 事故発生企業が期待する捜査結果は以下のようなものです。即ち、
「複雑な原因が、複合的、かつ、重層的に発生し、管理者としてはそれを予見できなかった。よって"安全配慮義務"違反はなかった」と。あるいは、
「安全配慮義務を果たそうと努力したものの、不可抗力が働いて事故が発生した」と。
 
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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(3)

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京都市内では南禅寺から平安神宮の大鳥居の前を過(よぎ)って鴨川に至り、そこで南に方向を変えて京都の中心部を鴨川沿いに下り(南行)、京都駅の近くで新幹線を下って伏見に至ります。

―― 京都市街地に顔を出す三条蹴上で、ウエスチン都ホテル京都の前の落差、薬0メートルを利用して発電が行なわれています。大津から京都に達した舟は、この落差をインクラインと称するケーブルカーで上げ下げされる。インクラインは、大東亜戦争敗戦まで利用されていました。現在永久保存の処置がとられています。

―― この外に支線があります。インクライン上部から南禅寺境内をローマ水道橋様式の水路閣で横切り、トンネルで永観堂をくぐって若王子神社にでます。そこから東山裾を、法然院、銀閣寺と辿って白河を潜り、京大農学部の北を通って京都工芸繊維大学繊維学部の南で高野川の下をくぐり、下加茂神社の北を通って植物園の南で加茂川を潜り、同志社大学の北を通って大徳寺の南で堀川に注ぎます。全長は約6キロメートルです。

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