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最近の社内技術者研修の実績 ― 安全大会、安全講演、危険予知KYK、行動災害防止、設備災害防止(8)。

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今年の平成23年6月10日に社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部から八王子労働基準協会様が八王子地区安全大会での安全講演の講師公募がありました。応募した結果、当選しました。実施した結果大きなご満足を得ました。

―― するとコンサルタント会からリピートを頂戴しました。建災防(建設業災害防止協会東京支部北多摩分会でした。内容は、八王子労働基準協会で実施したものと同一を希望するとのことでした。

―― 講演時間は、60分でコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

―― 2011年9月16日、立川の会場で受講者約100名の前で安全講演をしました。これも大きな御満足を得て再度のリピートをコンサルタント会から頂きました。それに関しては次ブログで照会します。
 
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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(15)。

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以後、1868(明治2)年に弾正台巡察、1870(明治3)年に北海道開拓権判事、1871(明治4)年に鳥取県少参事、鳥取藩士として堂々の凱旋です。
1873(明治6)年に一旦退官して野に下り、自由民権運動に身を寄せました。なんと血の気が多いことでしょうか。しかし1875(明治8)年には元老院書記官として呼び戻されました。1877(明治10)年に熊本県大書記官。ここで西南戦争の後始末で業績を上げました。

1878(明治11)年に内務省書記官、1879(明治12)年に高知県知事(県令)、1880(明治13)年に徳島県を高知県から分離独立させて徳島県知事を兼任。そして1881(明治14)年に倒幕志士とし刀を振り回した思い出の深い京の地の、京都府知事(府伊)を拝命しました。このとき北垣国道は、44歳でした。ちなみに申し添えます。当時の知事は、中央の内務大臣が任命する内務省の官吏でした。この状態は大東亜戦争敗戦までつづきました。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(12)

前ブログからつづきます。産経新聞の山内昌之先生の記事の紹介から、元の話の筋へもどります。子孫が語る(9)からつづきます。

前回述べたように、生野の変で破れた北垣晋太郎国道は、養父の実家にまで逃げ、そこで切腹しようとしましたが、母親に「再起を期せ」と言って制止され、鳥取に逃げ込みました。

―― ここで付記します。首謀者の一人、平野国臣は"生野の変"の後で捉えられ、京へ連行されて入牢を受けていましたが、門(はまぐり御門)の変の直後に処刑(斬首)されました。

―― 生野の変で実際に戦闘に参加して生き残った武士は、北垣国道を含めてわずか2年です。そのせいか、北垣国道は生野の変に関して語ることを好まなかったようです。

―― それはさておき、北垣国道は八木良造を変名して鳥取藩に逃げ込み、藩の私的密偵となって京へ潜伏して幕府側の動向を探っていました。ところが第一次長州征伐の余波をうけて鳥取藩の藩論が一変し、勤皇を捕縛する動きがでました。

―― そこで生野の変を支援していた長州に逃げ、名前を柴捨造と変えて奇兵隊に身をよせました。奇兵隊で第二次長州征伐を経て伏見鳥羽の戦いに参加。

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最近の社内技術者研修の実績 ― 安全大会、安全講演、危険予知KYK、行動災害防止、設備災害防止(6)。

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今年の平成23年6月10日に社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部から公募がありました。八王子労働基準協会様が八王子地区安全大会での安全講演をコンサルタント会所属の安全コンサルタントにやってほしいと。募集すると。で、私は応募しました。すると選ばれました。さっそく連絡をとりました。労働基準協会ですから、事務局長は元監督官です。その方が言われるには、監督官の話とはちがう、肩の凝らない話をしてほしいと。もちろん、安全に関する話です。これを受けてタイトルを提案しました。「福島原発危機に見る安全」と。事務局長様はお喜びになり、言われました。「それがよい」と。合意しました。以下は前ブログからのつづきです。
講演時間は、60分です。そしてコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

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48) 福島原発第一発電所の1号機~4号機は、スクラップにすることを宣言すること。
49)  スクラップにするための巨大費用は、これを政府負担で行なうと表明すること。
50)  東北電力と東京電力の2社によって今回の地震津波被害地帯のエネルギーを賄わざるを得ない電力グリッド事情(東日本と西日本の周波数差の意味)を国民に知らせること。
51)  東京電力がカバーする首都圏の機能は、供給電力不足により数年間10~20%程度低下せざるを得ないが、東日本の住民に「これを耐え忍ぶ」ことを呼びかけること。
52) 東電、東北電力以外の電力会社がカバーする地域の人々に、今後10年間の日本経済牽引力となってもらうことをお願いすること。
53)  この大災害を活用して東京一極集中の弊害から脱出することを宣言すること。
54)  今後30年以内にくる確立が高いと言われる「関東大震災」に対して、その根本的防備を考えて実効することを宣言すること。
55) 東電、東北電力以外の電力会社がカバーする地域の人々に、今後10年間の日本経済牽引力となってもらうことをお願いすること。
56)  この大災害を活用して東京一極集中の弊害から脱出することを宣言すること。
 今後30年以内にくる確立が高いと言われる「関東大震災」に対して、その根本的防備を考えて実効することを宣言すること。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(14)。

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外部の目が必要であると前ブログで書きました。私はその外部の目となることを仕事にしています。

―― 私田邉康雄は、化学プラント設計エンジニアです。正確にいうと「設計エンジニアでした」となります。しかしこの基盤の上にリスク発見力を積み増しました。

―― 化学プラント設計エンジニア力は、三菱化学で自社技術開発を担当し、大河内生産賞の"特賞"を受賞した実績で証明できます。三菱式ブタジエン法1,4-ブタンジオール/テトラハイドロフラン製造プラントです。

―― この基盤にたって三菱化学を定年退職した後、多くの化学プラントを訪問させていただきました。その中には、社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部を通じて承ったプラントがあります。

―― 訪問実績には、日本合成化学工業(水島、大垣、熊本)、三菱化学(筑波、四日市、坂出)、日本石油(麻理布、大阪、根岸、横浜、室蘭、富山、新潟、喜入、志布志)、信越半導体(白川、磯部、福井、武生、犀潟)、ソニーケミカル&デバイス(鹿沼第一、鹿沼第二、鹿沼第三)、大塚化学(徳島)、大塚薬品(徳島)、バイファ(千歳)、アルプス薬品(飛騨)、住商アグリビジネス(鹿島、大牟田、十勝、釧路)などがありま。小さな工場を入れると数え切れません。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(12)

前ブログからつづきます。産経新聞の山内昌之先生の記事の紹介から、元の話の筋へもどります。子孫が語る(9)からつづきます。

前回述べたように、生野の変で破れた北垣晋太郎国道は、養父の実家にまで逃げ、そこで切腹しようとしましたが、母親に「再起を期せ」と言って制止され、鳥取に逃げ込みました。

ここで付記します。首謀者の一人、平野国臣は生野の変の後で捉えられ、京へ連行されて入牢を受けていましたが、門(はまぐり御門)の変の直後に処刑(斬首)されました。生野の変で実際に戦闘に参加して生き残った武士は、北垣国道を含めてわずか2年です。そのせいか、北垣国道は生野の変に関して語ることを好まなかったようです。

それはさておき、北垣国道は八木良造を変名して鳥取藩に逃げ込み、藩の私的密偵となって京へ潜伏して幕府側の動向を探っていました。ところが第一次長州征伐の余波をうけて鳥取藩の藩論が一変し、勤皇を捕縛する動きがでました。そこで生野の変を支援していた長州に逃げ、名前を柴捨造と変えて奇兵隊に身をよせました。奇兵隊で第二次長州征伐を経て伏見鳥羽の戦いに参加。

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最近の社内技術者研修の実績 ― 安全大会、安全講演、危険予知KYK、行動災害防止、設備災害防止(5)。

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今年の平成23年6月10日に社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部から公募がありました。八王子労働基準協会様が八王子地区安全大会での安全講演をコンサルタント会所属の安全コンサルタントにやってほしいと。募集すると。で、私は応募しました。すると選ばれました。さっそく連絡をとりました。労働基準協会ですから、事務局長は元監督官です。その方が言われるには、監督官の話とはちがう、肩の凝らない話をしてほしいと。もちろん、安全に関する話です。これを受けてタイトルを提案しました。「福島原発危機に見る安全」と。事務局長様はお喜びになり、言われました。「それがよい」と。合意しました。以下は前ブログからのつづきです。
講演時間は、60分です。そしてコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

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38) 宣言の根拠となる国家的優先順位 ― 「津波被災地域の復旧・復興」とそれに必要な「安定電力確保」
39) 津波被災地の生存者救出作業は終了したことを宣言すること。
40)  自衛隊は、本来の国を外敵から守るという任務に速やかに復帰させること。
41)  原発3号機と4号機の再臨界は、これを「絶対にさせない」と宣言すること。
42)  そのための戦力、東電エンジニアを初めとする関係エンジニア集団を鼓舞すると。
43)  放射能汚染地域は、現状以上には拡大させないとの力強い宣言をすること。
44) すでに汚染された地域は、政府が責任をもって影響を収束させると宣言すること
45)  東北の被災地区の短期的復興に必要とする電力は優先して送ることを宣言すること。
46)  今後の長期的復興には原子力発電が不可欠であることを宣言すること。
 現存原子力発電に関するリスクマネジメントを新たに実施すること。
47)  その際、言語「ゼロ災」や、言語「絶対安全」は、それらを使用しないこと。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(13)。

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 設備災害に関しては"格別の取り組"みが必要であると前ブログで書きました。

 ―― リスクの発見力
これがポイントです。

―― 行動災害に関しては「ゼロ災」を叫び「安全々々」と叫ぶことによって低減できます。いわゆる不安全行動をしないようにすればよいのですから。しかし設備災害は、叫んでもだめです。いくら叫んでも設備の劣化は自動的には回復しません。

―― 設備災害に関しては設備の中で進行している劣化等のリスク増大を察知する活動が必要です。この活動にはリスク発見力が大切です。

―― この大切なリスク発見力は、自社だけでは調達できません。限界があるのです。毎日同じものを見ているとそれが当たり前に見えてきます。また昔からやっているので問題はないと思い込んでいます。ですから外部の目が必要です。

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前ブログからつづき、山内昌之先生の産経新聞記事を紹介します。2011年11月24日と2011年11月17日の記事です。

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私は明治の政治家は、明治武力革命を仕掛けて勝利した軍人であったと理解しています。ですから、腹の据わり方が違います。彼らはつねに死に場所をもとめて働いています。

―― 山内昌之先生は北垣国道を評して言われます。「幕末明治の面白いのは、こうした生粋の革命家が民政家に転じても業績を上げる人物の多かったことだ」と。

―― 私は、このことは徳川時代の武士が受けた倫理教育に根づいていると考えています。自分のことよりも、公(自分が属する組織)のことを優先して考えるという習慣からくると考えます。

―― さらにいうと、彼らは死をおそれてはいませんでした。立派に死ぬことが、立派に生きることだと理解していました。確かに立派に死んだ人は、今でも私たちの記憶の中で立派に生きています。例を挙げましょう。

―― 明治の元勲、大久保利通、西郷隆盛、伊藤博文はいずれも死を覚悟して仕事をしていました。そう私は考えています。彼らは死に場所をもとめて仕事をしていました。彼らは徳川時代の武士ですから、彼らの関心事は「いかに立派に死ぬか」でした。そして立派に死んで今も私たちの記憶の中で生きています。彼らを私は尊敬しています。

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講演時間は、60分です。そしてコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

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29) ヒヤリハット ― これこそ正に他人の経験を自分のものにするツール。ヒヤリハット件数を、災害件数と並べて、その削減を目標としている企業がある。これは本末顚倒。本質が分かっていない。
30) 些細な怪我 ― いくらでもやったらよい。統計とるなど、無駄。無駄どころか、本筋を見誤る。経営者として困る怪我は、会社の経営に支障がでるような、そんな大きな怪我。
31) さて、今後必要なもの ― リスクマネジメント この習慣がついていたら、福島原発危機は防止できた。
32) ところで、マネジメントシステムとは ― Plan ⇒ Do ⇒ Check ⇒ Act 「Check/Act」がポイント。
33) リスクマネジメントとは ―  広義と狭義がある。
34) リスクの分類方法 ― Consequence と Likelihood による。
35) 田辺の危機管理 ― リンパ腫(血液癌)罹病 ― 最悪の事態を想定し、それだけはさけるという強い意志を示して最悪事態を避けた。― 完治した。
36) 話もどって、福島原発危機 ― 危機に際して、想定される最悪の事態が発表されていない。だから最善を結果の期待する。結果として最悪の事態に陥る。
37) ところで前述した弊社ブログの、ある日の記載 ― 東電エンジニア達の献身的努力によって電源が復旧し、福島1原発における最悪の事態を回避しつつある今、そして東北関東大地震発生後1週間が経過した今、菅直人首相がやることを提言します。2011年3月18日午後12時50分。
そのブログで発表した提言 ― 菅直人首相は「宣言」を発表すべき。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(12)。

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 三菱化学水島事業所の関係者の懸命な努力の結果、全身火傷の労災被災者が命を取り止めたことを前ブログにおいて紹介しました。

 ―― 死亡災害が発生した際の労災等級は最高の14級ですが、これが大きく下がりました。このためでしょうか。警察も監督署も、深い追求はしてきませんでした。

 ―― 今回の東ソー事故は、死亡災害が発生したのですから、当局の追及は厳しいものがあると予想されます。

 ―― 事故を発生させてはいけません。特に重篤災害を発生させてはダメです。そして安全々々と叫んでいても、重大災害は防止できません。叫んで防止できる事故葉些細な行動災害だけです。そして化学会社においては、行動災害よりも設備災害による労災の方がはるかに損害が大きいのです。ですから設備災害に関しては格別の取り組みが必要です。

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京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(10)

前ブログからつづきます。しかし話の流れを少し変えます。このブログを書いている最中にうれしいことがありました。東大教授山内昌之先生が曽祖父北垣国道と祖父田邉朔郎に関する記事を書いてくださいました。

―― 産経新聞の本日(2011年11月24日)と先週((2011年11月17日)の記事です。北垣国道のタイトルは「革命家から琵琶湖疏水の父」。そして田邉朔郎は「京都と北海道を開いた恩人」です。二人が娘婿、岳父の関係にあることが紹介されています。私が今書いているブログのタイトルそのものです。

―― 祖父田邉朔郎が岳父北垣国道の誘いに応じて帝国大学教授のポストを捨てて北海道庁鉄道部長を引き受けたことを私は立派だったと評価しております。このことはすでに拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」の中で紹介ずみです。平成の今、たとえ請われたとしても、東大教授を捨てて北海道庁の部長として赴任する先生がおられるでしょうか。

―― このことに対して東大教授山内先生も言われます。「内務大臣兼台湾総督だった児玉源太の陸軍参謀次長への降任ほどではなくても、格下げの感もある人事であった。いずれにせよ、必要とされる場所に屈託なくでかける明治初期の逸材たちの姿には頭が下がる」と。

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講演時間は、60分です。そしてコンサルタント会が提示した講演料は、70,0000円でした。これで承りました。

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20) 官僚組織特徴 ― 無謬性 ー 失敗はない。欠点はあるが、それを大きく上回る美点がある。日本の官僚と官僚組織の質は世界一。
21) さて本日の話題、安全 ― 欲求5段階説(マズロー) 
22) 努力が必要 ― 安全は、人間の基本的欲求であるが、これを得るには努力しないと得られない。
23) 絶対安全 ― この言葉を求める福島周辺住民。東電は、求めに応じて絶対安全を保証した。しかし、ひとたびこの言葉を使用すると、最悪の事態は想定できない。想定しない最悪の事態の事態に対しては、対策が立てられない(予算が付かない)。だから最悪事態が発生する。
24) 関連してもうひとつ、ゼロ災? ― これが目標? ゼロを達成するには無限大コストが発生する。よってゼロは、結果への期待に過ぎない。 念仏(南無阿弥陀仏)のようなもの。
25) 話し変わってハインリッヒの経験則 ― 1:29:300はもう古い。使うなら適用範囲を限定しなければならない。
26) これに対して田辺の経験則 ― 300:29:1(逆三角形)
27) 災害の原因によって適用可/不可 ― 行動災害(ハインリッヒ則)、設備災害(田辺則)
28) いくら言っても分からない。― 痛い思いをするまでは。
痛い思いをすること(お勧め)。― 会社の外で(経営者の本音)。それを持ち寄る。他人の経験を自分の経験とする。

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爆発死亡事故を起こした東ソー塩ビ工場は、先輩エンジニアの安全技術を必要に応じて伝承しているか(11)。

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 工場事故が発生しても死者がでないと警察や監督署の扱いは大きく緩和されることを述べました。 三菱化学水島工場もこのことをよく知っていました。そこで全身火傷の被災者を救助することにプロジェクトが編成されました。私も動員されました。

  ―― 三菱病院で治療をうけました。担当医師は特効薬を米国から取り寄せました。緑濃菌繁殖を制御する薬だそうです。添付されていた説明書は英文でした。医師は英文が得意でなかったので、私が動員されました。私は通訳ガイド、英検一級、科学技術翻訳士です。

 ―― 翻訳結果を医師に報告しました。そして医師はその薬を使用しました。その結果、被災オペレーターは命をとりとめました。全身火傷の患者が救済されたことは、医者としても大きな実績です。

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 東電が事実を隠している? ― いや、隠してはいない。事実を知らないだけ。それにしてはよくやっている。満身創痍暗中模索で鬼神の如く格闘している。東電等は、事実を知るだけの知識・技術・経験がない。
11) なぜ知識・技術・経験がない? ― 原子爆弾を開発成功した経験がない故。原子炉はブラックボックス。基本設計はGE。
12) まとめると、設計がおそまつ。 ― 基本設計なし。詳細設計が現地化されていない。
13) 原子炉は、コピーの導入。 ― 初期の石油化学コンビナートに同じで、米国のプラントのコピーをエンジニアリング会社が設計し、それをターンキーベースで受取る。20年経てやっと自己技術開発が行なわれた。田邉康雄はそれを担当した。
14) 今再び、それが問題。― 三菱化学鹿島。最新鋭エチレンプラント(東洋エンジ設計/建設)。三菱化学がフルターンキーベースで受取った。爆発火災(平成19年12月)。死亡災害。所長が有罪(訴求範囲が上がってきた)。訴求理由:安全管理体制の不備
15) しかし教訓が生きた。― 復旧に生きた火災経験。3/11(被災) ⇒ 5/20(再稼動) 被災70日後。早かった。
16)
17) 後ほど紹介する「いくら言っても分からない。痛い思いをするまでは」の好例。
18) 原発で今必要なこと ― 基本設計の見直し。と、言っても原子炉の見直しではない。バックアップ設備の見直し。その設置状態の見直し
19) しかし困難を伴なう。― 設計を見直す = 設計者の失敗を暴く。先輩の失敗を暴く。日本の企業文化には合わない。特に官僚組織には。

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