私田邉康雄は、NPO法人米欧亜回覧の会の会員です。この度、誘われる機会があったので同会ウエブサイトにこのタイトルで投稿することにしました。前回はさる7月(2001年)に投稿しました。今回は、3ケ月を経た10月になりました。1600字詰の用紙で毎回2~3ページを予定していたのですが、今回は11ページになり、その分だけ遅くなりました。因みに前回は3ページでした。
今回の内容を以下に紹介します。
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前回予告したように、まず幕末外交談の原文の一部を紹介します。出典は、1998(明治31) 年に発行された幕末外交談の初版本です。祖父田邉朔郎が田邉太一から貰いました。そして筆者が相続しました。巷ではこの本の現存が確認されていないので、幻の「幕末外交談の初版本」だそうです。
―― 手始めに「まえがき」部分を紹介します。ここには、以下のような著作の経緯が記載されています。原文を尊重して縦書きとし、かつ、使用漢字も旧字体をそのまま紹介しました。改行の位置も原文のままです。漢学者田邉石庵を父に持ち、父親が教授をする幕府昌平坂学問所で秀才を謳われた人が書いた文章ですから、漢文を思わせます。しかしさほど読解困難な文章ではありませんから、これを現代文に翻訳することは差し控えます。第一、翻訳してしまっては、迫力がなくなります。
自序
予の謁を幕府に釋しは實に其外国事務衙門に在
り中間譴を蒙りて屏居せし事ありといへとも幾
もなく故に復して以て其終りに到れりされは予
の謭劣を以てするも幕府外交の事實に於てはや
ゝ通曉する所あり世に幕末の事を記するの書た
ゝに十百のみならす然れとも紪繆相望外交の事
に於て殊に其甚だしきを見る遂に自らはからす
一史を著して信を後世に傳へんとの志ありしも
老懶これを果し得す先年知友のすゝめにまかせ
予の憶記するまゝを筆し一章一篇成に隨て讀賣
新聞に報してこれを世に問ひしことありしか今
又これを輯録し更に刪補する所あり以てこの書
をなすにいたれり但事予の耳目の見聞する所に
局して其全豹を描くに及はす又往々臆見を以て
時勢を揣摩しこれか説をなすものあり然れとも
誇張に渉らす掩飾を事とせす直筆諿むところな
きは自から信する所なり幸に幕末資料の一に供
るを得は庶幾は宿志の萬一を償ふに足らんか
田邉太一識す
最初にこの自序の部分に沿って太一の気持ちを吐露すると以下のようになります。数字(1)~(7)は、「自序」の枠上に打った数字に対応しています。
(1)予の謁を幕府に釋しは實に其外国事務衙門に在り
私は幕臣儒学者の次男に生まれた。家は200石の幕臣であったが、兄の厄介の身であった。徳川幕府において役職は世襲であり、これにつかないと俸禄はなかった。しかし昌平坂学問所から甲府徽典館教授になり、そして長崎海軍伝習所で力をつけたので1859(嘉永6)年に外国奉行所の書物方出役を命ぜられ、1861(文久1)年に28歳で最初俸禄30俵の身分取立て沙汰をうけた。
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次のブログにつづきます。
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