子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。
【書き下し文】――――――――――――――――――――――――――
子曰く、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)あり、遠方より来たる、亦(ま)た楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦(ま)た君子ならずや。
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【現代語訳】―――――――――――――――――――――――――――
先生が次のようにおっしゃいました。
「学んでは適当な時期にこれを復習する。なんと嬉しいことだろう。
友人が遠くからやってくる。なんと楽しいことだろう。
人が分かってくれなくとも気にかけない。なんと徳のある立派な人だろう。」
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学ぶ対象は様々ありますが、
人の根本的なあり方、道徳のように、
時代や洋の東西を問わず、不変の真理を学ぶことを「学」と言い、
その時代やその場所で必要な知識を「芸」と呼んでいました。
ここでは前者の「学」を学んだり、復習したりしているものと私は考えています。
人生のあり方、生きていく上で大切にしなければならない心構えというのは、
一回人に教わったからそれで身につく、というものではありません。
何度も自分なりに思いをめぐらし、思考を深めていくことで、
体にしみこんでいくものです。
こうした過程を通して理想的な生き方、
人としてのあり方を体現できるようになることは、
とても喜ばしいことです。
そして、同じ道を歩もうとしている同士が遠くからやってきて、
お互いに自分の考えを述べあい、学びあうというのは、
とても楽しいことです。
最後に、崇高な生き方を目指して日々研鑽を積んでいることを
他人が知らなくても、気にかけないという生き方は、
なかなかできないものです。
「オレはこんなにスゴイんだぞ!」という高慢さが生じることが多いからです。
そういう高慢さを心に抱くことなく、
ひたすら自分が歩もうとしている道を歩んでいく。
こういうことができる人が徳のある人です。