有子曰く、其の人と為りや、孝悌にして 上を犯すことを好む者は鮮なし。
【書き下し文】――――――――――――――――――――――――――
有子曰く、其(そ)の人と為(な)りや、孝悌(こうてい)にして
上(かみ)を犯(おか)すことを好む者は鮮(すく)なし。
上を犯すことを好まずして乱を作(な)すことを好む者は、
未(いま)だこれ有らざるなり。
君子は本(もと)を務(つと)む。
本(もと)立ちて道生(しょう)ず。
孝悌(こうてい)なる者は其(そ)れ仁(じん)の本(もと)たるか。
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【現代語訳】―――――――――――――――――――――――――――
有子が言った。
「父母によく仕え、兄や年長者によく仕えるような
人柄であるにもかかわらず、
目上に逆らうことを好むような人は少ない。
目上に逆らうことを好まないのに、乱れを起こすことを好む人はいない。
有徳の人というのは、根本のことに注力する。
根本がしっかりして、初めて歩むべき道がハッキリするからだ。
父母によく使える「孝」と、兄や年長者によく仕える「悌」が
「仁」の根本であろう。
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孔子が一番大切にしていた概念は「仁」です。
「仁」とは、人への思いやり。
仏教では「慈悲」、キリスト教では「愛」と言われているものだと
私は解釈しています。
徳のある人は「本を務む」(根本のことに注力する)とあります。
「本」という漢字は「木」の下部に「一」という記号で印を加えたものです。
木の下と来れば、根っこです。
ここから、本当に大切なことを「根本(こんぽん)」というようになりました。
あるいは、これに「幹(みき)」を加えて、「根幹」とも言います。
「根本」「根幹」に対する反意語は「枝葉末節」です。
枝葉末節と言うと、取るに足りない小さなことというイメージが強いですが、
枝には枝の、葉には葉の大切な役割があります。
特に広葉樹の場合、秋が深まると葉が落ちます。
春や夏には必要だった葉の光合成機能が不要になるからです。
従って、枝葉というのは、
その時期やその場所で必要なものという解釈を私はしています。
A社に就職すれば、A社が扱う商品知識を学ぶ必要がありますし、
B社に転職すれば、A社の知識は不要となる代わり、
B社が扱う商品知識を学ぶ必要が生じます。これが枝葉。
しかし、社会人としての心構え、お客様への心配り等は、
どの会社に行っても通用するものです。これが根本、根幹です。
孔子が一番大切にしている「仁」。
仁という大樹を支えている根っこは
生み育ててくれている親や、兄や年長者に感謝の念を持って接し、
親兄弟のために尽くすことにあります。
人間が初めて経験する組織は家庭です。
この家庭の中で人間としての根っこをしっかり育てていくことが、
やがて社会に出た時に「仁」を発揮することができるようになるということです。