子曰く、巧言令色、鮮なし仁。
【書き下し文】――――――――――――――――――――――――――
子曰く、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん)。
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【現代語訳】―――――――――――――――――――――――――――
先生が次のように言いました。
「言葉が巧みで、うわべだけ愛想よくつくろうような人というのは、
仁の徳がほとんどない。」
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口先と表面的な愛想だけで相手と接するような人というのは、
行使が一番大切にしている徳目である「仁」が「少ない」と言っています。
「仁」が「ない」と言い切らなかったところに、
孔子の思いやりを感じますね。
表面的であるとはいえ、ひっくりかえせば
「表面的には(仁が)ある」ということだからでしょうか。
人間、年を取れば取るほど頑固になりやすいと聞いたことがあります。
頑固とは自分を変えないということです。
自分を変えるというのは、これまでの自分を否定することにつながりますから、
それだけで抵抗感があります。
また、今までの慣れ親しんだ思考や行動を変えることにつながりますから、
一言で言えば、「面倒」。
心の奥底では「人に対する思いやりって大切だよなー」と思っていても、
心の底からそれを徹底するとなると、抵抗感や面倒さが先に立ってしまい、
つい、表面的に取り繕って、その場をやり過ごしてしまいます。
これでは、仁の徳を身につけ、成長するチャンスをみすみす逃すことにつながり、
実にもったいないと思います。
仁の徳は孔子が「鮮(すく)なし」と言っているように、
「ある・ない」のどちらかではありません。
色で言えば、真っ黒から真っ白までの
グレーゾーンが果てしなく広がっているというイメージです。
ちょっとずつでもいいから自分中心の考えや、
自分ひとりだけの利益を得ようとする考えを捨て、
他人を思いやった発想をするとよいと思います。
これが積もり積もっていくと、真っ黒が濃いグレーに、
濃いグレーが薄いグレーになっていくのではないでしょうか。
自分と他人を切り離して考えずに、
自分は「右手」、他人は「左手」といった感覚を持つといいと思います。
(小さい自分である)右手と(相手の象徴である)左手を
たどっていくと同じ本体にたどり着く。
これが本当の私です。
右手と左手で「オレがオレが」とやったってしょうがないです。
右手も左手も、元をたどれば同じなんですから。