六十四卦の考案と易経本文の執筆者:文王・周公旦
文王は八卦を元に六十四卦を編み出し、
文王・周公旦で卦辞(各卦についての包括的な説明文章)と
爻辞(各卦を構成する六本の爻が示す意味を記した文章)を作ったとされています。
一般に占いのことを「卜筮(ぼくぜい)」と言います。
亀の腹甲や獣の肩甲骨の裏に小さな穴を堀り、
そこに焼け火ごてを突きあてると表面に割れ目が生じます。
その割れ目の形を見て吉凶を判断する占いを「卜(ぼく)」と言います。
殷(いん)(BC1600年頃〜BC1046年)の時代には、
盛んにこの方法で占われていました。
「卜(ぼく)」という漢字は、亀の甲を焼いて占った際、
その表面に生じた割れ目の形を描いたものです。
また、割れ目が生じる際の音が「ボクッ」という音であることから、
この漢字を「ボク」と読みます。
ちなみに、「占」という漢字は「卜+囗」を組み合わせてできています。
この囗は「くち」ではなく、ある物やある場所を示す記号です。
卜(うらない)によって、一つの物や場所を選び決めることを
「占」という漢字で表しました。
一方、周(BC1046年頃〜BC256年)の時代になると、
蓍(めどき)(蓍(めど)萩(はぎ))という
植物の茎50本を使った占いが主流となりました。
後に、蓍(めどき)の代わりに竹を使用するようになりました。
これを筮竹(ぜいちく)と言います。
私たちが想像しやすい易占いのイメージです。
ちなみに、筮(ぜい)という漢字は「竹+巫(みこ。うらない師)」。
筮竹(ぜいちく)で占って、迷いを断ち切り、きっぱりと思い切ることを
筮(ぜい)という漢字で表現していました。
この占い、当時は「周易(しゅうえき)」と言っていました。
他にも「連山(れんざん)」「帰蔵(きぞう)」という易占いがあり、
これら三つを「三易」と言います。
現在に至るまで伝わっているのは「周易」のみであり、
他の二つは時の経過とともに失われてしまいました。
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