易経 その後1
前漢時代、董仲舒(とうちゅうじょ)は
儒学を正統の学問として五経博士を設置することを、
当時の皇帝である武帝に献策しました。
五経博士とは、儒家の経典である五経(易経、書経、詩経、礼記・春秋)を
教学する中国古代の官職です。
武帝はこの献策を受け入れ、BC136年、五経博士を設けました。
少なくとも、この頃には易は単なる占い本ではなく、
人生哲学の書、帝王学の書とされていたのです。
そして、易経を含む五経について、
中国では598年(隋)から1905年(清)まで行われた官僚登用試験、
「科挙」の試験科目の一つとしていました。
ちなみに、日本には古墳時代の513年6月、
百済から五経博士である段楊爾(だんように)が来日しています。
易経は儒教を学ぶ上での教典の一つとして日本に輸入されたのです。
段楊爾の来日は日本が任那四県を
百済へ割譲したことに対する百済側の返礼でした。
当時、最高の知識を有する五経博士は領土にも匹敵する存在だったのです。
日本においても、易経を学ぶことは知識人として当然のことでした。
例えば江戸時代においても藩校(武士が通う学校)において
易経が教えられていました。
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